上原浩治は浪人時代が最も輝いていた

上原浩治
東海大仰星高校時代には全くの無名選手。
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体育教師になるために大阪体育大学を受験したものの、結果は不合格。
まさかの浪人生活を送るはめになってしまった。
予備校に通い、夜間のアルバイト(警備、道路工事)
をしながら家計費を稼いだ。
お兄さんからの紹介で大阪市内のトレーニングジムにも通い体力を
つけた。
「たとえどん底であっても一番ギラギラしていた。こんなところで負けてたまるかと常に心を燃え上がらせていた」と振り返っている。
1年後に大体大を再受験して合格。
野球部に入ると、メキメキと頭角を現ていった。
 
チームの雰囲気は、上下関係の厳しさもなく民主的で、
他の大学チームと比較にならないほどに
自由な組織だったと言います。
「練習のレベルは全然厳しくないし、野球のレベルそのものも高校のほうが高いぐらいで、少し拍子抜けがした。でも、こういう環境が自分の向上心を引き出すことにつながったと思う。なんでも自分でやるという意識を植え付けさせてくれたし、何より楽しく野球をやれる環境はボクにとって、とても大きかった」
チームには運営費もなかった。
征費は選手の自腹。
チーム内からは「カネがないから勝ち続けたらヤバイし、そろそろ負けようや」
しかし「こういう笑い話が心地良かった」と上原は振り返る