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極東国際軍事裁判 死刑

2018年6月16日

毎年、閣僚の靖国神社参拝が問題になりますね。
安倍首相は、参拝を見送る方針ですが、閣僚の参拝については、
自主性を尊重する姿勢をとっています。
アジアの国々を苦しめた、『A級戦犯』が
祀られている靖国神社に
政治家たちが次々と参拝することに
日本の周辺諸国は“不快感”を示している、というのが
大方の理由ですね。
それでは、歴史を少し語ります。
1946年5月3日、
極東国際軍事裁判
通称・東京裁判が開かれました。
裁かれたのは、
荒木貞夫、橋本欣五郎、東条英機、木戸幸一、
松岡洋右、大川周明、永野修身らA級戦犯計28人
です。
判事団は11カ国で
米国・中国・英国・ソ連・オーストラリア
・カナダ・フランス・オランダ・インド

など構成されました。

判決が出たのは、1948年11月12日、死刑判決が出たのは
次の7人。
東条英機、土肥原賢二、松井石根、武藤章、
板垣征四郎、広田弘毅、木村兵太郎

同年12月23日7人は絞首刑になりました。
日本人の教誨師としてただ一人、
最期の瞬間に立ち会ったのは花山信勝。
花山信勝は、この時の模様を『平和の発見』に詳細に記録しています。

スガモプリズンの刑場は
北西隅の運動場の横にあったとされている。
連合国はA級戦犯らに報復として
銃殺刑ではなく、
絞首刑を選び実行されている。
欧米では絞首刑が一番恥ずべきものと言われている。
刑場は日本型のもので、一時に一人しか処刑できない。
そこで連合国は、
五人が一度に処刑できる大量処刑方式の刑場を作った。
東条英機らは、特設されたスガモの13階段を上り
軍服をとり去って処刑された。
話は変わりますが、
マレーの虎〟との異名をとった山下奉文大将。
フィリピンの第十四方面軍司令官を任され、
1946年2月23日マニラ郊外のロスバニオスで
絞首刑になりました。
フィリピンで敗北し、マッカーサーは命からがら脱出。
その恥辱を晴そうと復讐に燃え、
比島米軍によって処刑されたといいます。
山下将軍は、カーキ色のシャツ、
ズボン姿で米軍作業帽をかぶり、静かに
十三階段を昇ったと伝えられています。