鈴木貫太郎 運のいい男 死なない男

2018年6月16日

鈴木貫太郎・第42代内閣総理大臣は、
慶応3年(1868年)生まれ
子供の頃、泣いてばかりいたので、
「泣き貫」と呼ばれていました。
外国に行きたいという
単純な理由で海軍を志望したといいます。
二、二六事件で一命を取り留めたことなどから
「自分は運いい」と気づいていた鈴木貫太郎。
日清戦争のとき貫太郎は水雷艇の先頭にたち、
「おれは運のいい男だ。だから俺についてくれば間違いない」
「どんな危険なときでも心配するな」
「おれはお前たちを死なせるほど下手な戦はしないから、安心しろ」

こういって
部下たちを落ち着いた気分にさせたといいます。
海軍大学校の講師時代には生徒にたいして、
「敵に抱きついて短刀で刺し違えるようなものだ」
という魚雷艇攻撃の精神を教えました。
昭和20年(1945年)4月5日、
首相に貫太郎が推された時に
「耳も遠いし、お断りしたい」と述べています。
そして貫太郎は天皇より、
組閣の大命を受けることになり、
「政治はまったくの素人で…」
「老齢で耳が聞こえず…」
ここでも貫太郎は断り続けます。
昭和天皇はこうおっしゃります。
「耳が聞こえなくてもよいからやれよ」
こうしたことから昭和天皇と
以心伝心
だったようです。
※昭和天皇は
「頼むからまげて承知してもらいたい」
とおっしゃったという説もある)
終戦時には、
陸軍は戦争継続、終戦工作の海軍
という状況の下で、
総理大臣として
阿南惟幾陸軍大臣、米内光政海軍大臣
などとともに戦争を終結させました。
鈴木貫太郎首相と阿南惟幾陸軍大臣は
名コンビだと言われています。
昭和天皇は、終戦工作には
鈴木貫太郎の力
どうしても必要だったようですね。